その逆転になっているのが、魔王の二人の主人公で、刑事はティーンエイジャーの頃は暴力に明け暮れ、弁護士はひたすら毎日をささやかに生きていました。
ところがささやかな幸せが悪人によって破壊されたとき、善人が魔王となり、そのためには手段を選ばなくなっていきます。
一方、悪人は自分の罪を悔いあらため、正義を守る刑事となって、不可解な魔王の殺人事件を追うようになっていきます。
魔王では、ひとつの悲劇から、簡単に悪人は善人となり、善人が悪人に代わってしまうという人間のもろさも描いています。
もろさという言葉があっていないのであれば、善悪のボーダーを乗り越えてしまう可能性を魔王では描いているのです。
魔王では、過去が二人の主人公に深い影を落とし、その影に吸い寄せられるように、殺人事件が起こっていきます。
殺人は悪ですが、殺人を犯している魔王にとっては復讐ですから、悪という認識は薄いようです。
一方の悪人だった刑事には、魔王が引き起こしていく殺人事件を食い止めるか、魔王を逮捕するかで自分の善が問われていくのです。
魔王は人間の善悪を常に問うているようなドラマで、魔王から見れば自分の犯している殺人は善なのです。
ところがそれは一般社会では悪でしかないのですが、一度悲劇を味わい、ダメージを受けてしまった魔王はそれを感じることができません。
また魔王を追う刑事は、過去に自分が犯してしまった殺人を今も悔い、そのために異常なほど正義にこだわり、善にこだわるのです。
魔王についての情報をサイトやブログ、掲示板で集めて、善とか何か、悪とは何かを考えてもいいでしょう。
魔王が犯していることは殺人であり、またそれは悪の最たるものなのですが、自分の大切なものを奪われてから、それは善となっています。
このように揺れ動く善悪の振り子を主人公たちは常に揺り動かし続けて、ドラマが進むにつれ「善とは」「悪とは」を考えさせられるのが魔王です。
魔王の隠されたテーマは「善と悪」なのかもしれせんが、それを如実に表しているのが、主人公の二人なのです。
二人の魔王の主人公は一つの悲劇から、片方は善に生きることを決め、片方は悪に生きることを決めたのです。
たった一度の大きな悲劇が、その人間の生き方や考え方までをも変えてしまうということを魔王は教えてくれます。
そして悪に徹する一方で天使の顔を持つ主人公は、魔王の中でも、特殊な存在であり、ストーリーを作っていくのです。
その天使の顔を持ちながら、悪に徹する主人公に翻弄される悪人だった刑事の姿から、もしかすると運命の恐ろしさも魔王は示唆しているのかもしれません。
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